mmorpg Massively Multiplayer Online Role-Playing Game (マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)とは
数千人規模のユーザが一つの空間を共有しフィールドで冒険できるネットワークRPGの事のようです。
そこは、仮想世界でありながら人間社会が存在する。
人対人のコミュニティである以上、社会と同様に派閥もあれば、人間関係のいざこざも存在します。
コミュニケーション手段を支援する仕組みが組み込まれており,クランなどが実装されています。
同じ目的を持つ仲間や仲の良い友達などで構成された組織です。コミュニケーションをはかる上で大切なものです。
そしてクランなどの組織には必ず,マスターが存在します。
クランマスター(クラマス)とは何なのか,少し考えてみました。
クラマスはクランの象徴であり,メンバーの意見の纏め役であったり,クランの目標や方針などを考える存在でもあり,クランの権限を持つ存在だと思います。
組織を大きくしたい為,メンバーを募集もします。クラマスの理想の姿です
しかし、組織は大きくなればなるほど、人の出入りが激しくなればなるほど、色々な問題が浮上し、色々な影響を与えていきます。
インしてすぐにメンバーのお手伝いや問題が起これば、その対処に追われ。自分のクエやレベル上げも出来ず、友達と遊ぶ暇も無い日々。クラマスだから当然の仕事でしょうか。
これだと,マスターは疲れ潰れてしまいます。クランの崩壊です。
クラマスも1ユーザーです。忘れないでほしい,パソコンの向こう側には私達と同じ心を持った人間がいることを。
クラマスは誰よりもクランを愛しメンバーの事をいつも考えています。それは,仲間は財産であり宝物であり,喜びや困難を乗り越えてきた大切な仲間だからです。
私も微力ですが,クラマスの手を少し軽くしてあげたいと思っています。
一人一人楽しみ方があるようにクランも色々なタイプが存在して当然だと思います。
楽しいと感じれば,それだけでクランの存在価値はあります。
現実社会であれこれで疲れても,ここにくれば,楽しい仲間がいて。そのひとときが癒される。
これが私の理想のクランです。
愛の画家と呼ばれるシャガールの絵画は大好きである。
湯布院美術館にも「サーカス・オデュッセイア」がセットで展示されている。
セットで展示しているのは世界でも希少であり、日本ではこの美術館だけである。
もう一点お気に入りの絵画は「誕生日」という作品。
まだ本でしか見たことがないが、数年前、上野の森美術館で開催されたMoMA展には「誕生日」が展示されていたはずである。
他の作品は四次元を感じさせるようなものが多いが、これだけはテーブルクロス、タイペストリーなどのデザインがとても細かなところまで描かれている。
まるで現実のように・・・。
「誕生日」は、シャガールの誕生日に婚約者のベラが花束を持ってお祝いに来てくれた。
シャガールは嬉しくて嬉しくて直ぐに抱きしめキスをしたかったが、シャイなシャガールはキスの変わりにキャンバスに手を伸ばして出来た作品だった。
それゆえ描かれている二人はウキウキとした気持ちと幸福感で宙に浮いている。
眩暈のするような重力からの解放は、言葉の観念を忠実に表現したものだろう。
二人は長い遠距離恋愛、ベラのご両親の反対の末、やっと結婚を決めることができた。
今まで幻のような存在だった愛しい彼女が、今自分のためにここにいる。
それは紛れもない現実であるということを表現したくて、二人とは対象的に現実的な背景を描いたのではないかと思える。
私は精神的な最初の衝動、明確で具体的な事柄から、やがて抽象的な方へ向かっていく・・・・・。
マルク・シャガール
数年ほど前、宮本輝先生の小説にのめり込みました。それから私の人生にもいろいろな物語があり、数ヶ月前から再び、先生の小説を又読むようになりました。
年を経て感じ方が変わったのか、登場人物の一言一言が、心の声が、共感をもたらしてくれます。
先生の小説を読むと、登場人物と同じくして、自分をも好きになれるのが心地よいです。
少々寝不足ですが、読み始めたら止まらないのが私の性分です。
数年前に読んだ本たちの内容はおぼろげながら覚えているのですが、年を経てどんな風に感じるのか、読み直してさらに自分を好きになるだろうと思いました。
最近遊んでいるゲームLHの内容が主になります。
相変わらず、不定期ですが^^;
過去の記事を削除しようかと思いましたが、そのうちに整理していこうと思ってます。
毎年、繰り広げられる議論だが、小泉首相が靖国参拝を中止すれば近隣諸国の反発は収まる問題でしょうか。
恐らく、歴史問題、ガス油田、尖閣諸島、台湾問題など、次々と攻撃してくるのは目に見えてます。
数年前の8月15日、小泉首相に胤森貴士トーマスさんが手紙を書いてます。
私は広島の生存者であり、帰化してアメリカ市民となった者です。
8歳の私は、爆心地から0.7マイルの所にいました。両親を含む6人の家族を失いました。
その日を生きるため、人に追われながらネズミのようにゴミ箱をあさり、16歳で自殺を図り失敗。
父の墓前に復讐を誓い、アメリカへ渡りました。
そして、私はカリフォルニアで、敵と憎む人々のため果物を摘み取る移民労働者となりました。
露骨な人種差別や偏見を、嫌というほど味わい、真珠湾やパターン死の行進のことなどを幾度となく責められました。
それは、復讐の炎に油を注いだだけでした。
しかし、50年の歳月を経て、私は復讐から赦しへと根本から考えを変えました。
人生を通じてヒロシマの意味するものを考え続け、その結論に達したのです。
小泉総理、あなたが15日に靖国に参拝されると聞いた時、反対する人々への津波のような共感に揺さぶられました。
しかし今、私はあなたに別の意味で参拝して欲しいと思うのです。
恐怖と不信は恐怖と不信をはぐぐみ、暴力は暴力を生み、戦争は戦争を呼び、果てしない復讐を繰り返すのです。
私たちが各自の心の闇を見極め、犠牲者に心から謝罪し、和解することによってのみ、その連鎖を止めることができるのです。
首相は勇気を持って、参拝を真の謝罪と和解のための儀式に変え、世界を戦争の闇から遠ざけてください。
養老猛司さんの死の壁
中韓は太平洋戦争の主犯格を靖国神社に祀っていること自体に強く憤りを表明しているが日本側の主張は「戦犯なるものを決めたのは戦勝国の驕りである。日本が戦争に勝っていたらそのようなことには絶対にならなかったはずだ」故に「その「戦犯」の定義は普遍性を持たない一方的で「怪しげ」なものである
もはや、水の掛け合いともいえる状況になってきていることは多くの国民が感じることであろう。
この日本と中国・韓国の軋轢の間に、実は大きな「死の壁」が立ちはだかっていると言えるかもしれない
日本人は、たとえ敵であった人間でも、死者となれば同じように霊を弔うのである。それが国家のために戦い死んでいった兵士の霊ともなれば、敬意を払い弔うのは当然のことであると思います。
子供に靖国問題を尋ねられたら、どう答えるか。
『死んだらみな仏様になるのです』
谷川俊太郎さんの詩 反戦歌
死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残さなかった 平和ひとつ残せなかった
死んだ彼らの残したものは 生きてる私 生きてるあなた 他には誰も残っていない 他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日 他には何も残っていない他には何も残っていない
今回のアンケートで30人近くの有識者が「参拝すべきではない」と答えてます。残念でなりません。神道の本義の一つは祖先崇拝であると思います。日本に住むあらゆる命に対する崇拝の気持ちを妨げることは出ないと考えるのですが・・・。



